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宝当神社の歴史

宝当神社は昔字で書くと「寶富神社」であり、神社鳥居の神額に記されてあります。
そもそも宝当神社とは1574年頃、信州諏訪に生まれ文武に秀でた野崎隠岐守綱吉 「のざきおきのかみつなよし」とゆう若者が不遇に遭い国を追われ流れ着いた島が 高島でした。
当時世の人は筑前の海賊、火山神九郎を非常に恐れていました。
ある日その海賊集団三十数名が高島の人家を襲った。
これを聞きつけた綱吉は、負傷を負いながらも海賊たちを退治しました。
その後遠近の海賊たちは、綱吉の武勇伝を恐れ、2度と高島を襲う事は無かった といます。
1581年綱吉は島民とはかり、先祖を奉る氏神として塩屋神社(山王宮)を設立。
1586年綱吉は病に冒され再起する事が出来ず、高島において逝去する。
島民達は綱吉の弔いを厚くし、島の大権現として奉りました。
1901年島の産業である製塩業が盛んになり、島が利益をあげた時、お礼として 神社を当島の宝と称え「寶当神社」と記した石造りの鳥居を奉納しました。
この頃より宝当神社(ほうとうじんじゃ)と呼ばれ親しまれてきました。
平成に入って、当神社の「寶当」の文字にあやかって宝が当るとゆう事が全国 の宝くじファンに広まり、お参りをした人の中からも当選者が多数出ました。
1993年過疎化が進む島の将来を案じて、島おこしとして「宝当袋」なる縁起物 を作ると、その宝当袋を作っていた人の身内からも1等当選者が出たそうです。
テレビ・新聞・雑誌などに紹介され、宝くじの御利益が有る神社として一躍有名 になって現在に至っています。
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